今月の花(十一月) まゆみの実
この秋、帯広で門下といけばなデモンストレーションをすることになりました。 現地の花屋さんに花材を発注しましたが出発直前にご不幸があり、札幌の花屋さんなら一日かければ花材を帯広に送れることから、懇意の東京の花屋さんに橋渡しをお願いしました。
その頃、東京の私の教室には、美しいピンクの実のたくさんに付いた「まゆみ」が届いていました。ニシキギ科の「まゆみ」は、その名の様にかつては弓を作ったほどしなやかで強く、秋には薄いピンクや白の愛らしい実が付きます。その四角の実は割れてかわいらしい赤い種をみせてさがります。この性質からでしょうか、「まゆみ」は女の子の名前に付けられます。
北の大都市札幌の市場に「まゆみ」はあるのだろうか。あれば水の入ったチューブに枝の元をいれて発送してくれれば日高山脈を越えても鮮度を保てると思い、数種類の花や葉の発注リストの最後に「まゆみ」を付け加えました。この実を秋の花や枝といけたらさぞ美しいことでしょう。
帯広のホテルには、大きな段ボール箱が届いていました。古新聞に包まれた花材を次々と開けてはバケツに入れていると、薄い緑の葉を多数つけた70センチくらいの枝が10本でてきました。「これがまゆみ?」東京の花屋さんに確認すると、確かに札幌に「まゆみ」を注文したという返事。でも、美しいピンクの実の姿はひとつもありませんでした。
気を取り直して、他の花材と「まゆみ」をホテルのシャワールームに並べたバケツに、元を水の中で切る水揚げをして入れていきました。
翌日、この水揚げがきいてピンと新鮮な姿になった他の花材たちの中で、葉だけの「まゆみ」はすでに乾燥がはじまり下を向いていました。一昼夜水をつけないで運ぶことを想定して花材を選んだので、実の無い「まゆみ」を注文することはありえません。注文に「まゆみの(実)」と強調すればよかったのでしょうか。
がっかりしている時間はありません。帯広出身の門下のご実家の農場に9月に下見に来た時に目をつけていて、切るのを許していただいたものがありました。さくらんぼうをつける桜の枯れ枝、エゾ松、そしてアナベルやコキア。アナベルは切るとすぐ元をたたいてミョウバンを刷り込みました。水揚げの悪いコキアは根ごと堀り、土をつけたままバケツに入れて車に積み込みました。
広い空の下に広がる日高の山々。帯広の碁盤の目のまっすぐな道路を花材を積んだ車は会場へとスピードを上げていきます。
「待って!!とまって!!」私の目に飛び込んできたのは道路沿いの緑の中の赤い点。駆け寄ると、それはまさに葉の中にピンクの実をさげている「まゆみ」でした。
「まゆみよ!」「へえ?ここでまゆみなんて見たことがない」。帯広に住んでいる門下は不思議がりました。道路際の持ち主のわからない「まゆみ」の枝を数本いただきました。葉を取っていくと初々しいピンクの実が現れ、「まゆみ」はデモンストレーションのフィナーレに、千葉から送らせた青竹とともにいけられました。竹も北海道で入手するのは困難なのです。
いけばなのデモンストレーションは帯広では初めてと聞きました。「蕎麦の茎が作品になるのだ」「自分の家の周りに植えているコキアもいけばなに使えるのね」。ご自分の名前がまゆみで、まゆみを初めて見て自分の名前を改めて考えて興味深かったという声も寄せられました。
観客の皆さんの拍手と笑顔の中、数々の花材を提供してくださった地元帯広の皆様に心から感謝しました。
そして、「まゆみ」は?感謝すべきは神様、としか私には思えなかったのです。「まゆみ」はわたしにとって特別な木になりました。(光加)